高田馬場駅前ロータリーが早稲田大学のキャンパスである理由




早稲田大学のキャンパスといえば、早稲田キャンパス(通称本キャン)、文キャン、西早稲田キャンパス(理工キャン)、そして所沢キャンパスである。

その他にも埼玉に本庄キャンパスなどもあるが、実は新宿区内にあと1つキャンパスが有るのを忘れてはならない。そう、多くの早大生は気がついていないだろうが、高田馬場駅東口を出てスグのところにあるロータリーこそ、早稲田大学高田馬場キャンパスなのである。

今回は、なぜ駅前ロータリーが高田馬場キャンパスだと言えるのかを考えてみよう。

キャンパスの定義

キャンパスの定義は明確には決まっていない。なので、今回は大学の定義から、キャンパスといえるかについて考えてみよう。

参考になるのは、「国家」の定義である。いわれる国家の3要素は、領域(領土など)、人民、主権である。この全てを満たすものは国家として認められるが、1つでも満たさないものは国家として認めれらない。

大切なのは、この領域、人民、主権それぞれが結びついていることである。それぞれがバラバラにある場合は、国家となりえないであろう。

少し乱暴に思えるかもしれないが、大学をこの3要素に当てはめると、領域は敷地、人民は学生、主権は(学生の)主体性ということになろう。例えば、早稲田キャンパスににおいては、学生と敷地、敷地と主体性が密接に結びついていることから、大学が成立していると言えるのである。

駅前ロータリーが早稲田大学の一部と言えるためには、なんとしても結びつきを証明する必要がある。

早大生と駅前ロータリーの結びつき

結びつきは非常に強いと言える。早大生と駅前ロータリーは切っても切り離せない状態にあるのだ。

なぜなら、「ロータリー」と言ったときに思い浮かぶのは高田馬場駅前のあのロータリーだけだからである。そう、間違えても小手指駅のロータリーに行ったりすることはないのである。

「今どこ?」「ロータリー」という会話がそれを象徴している。「今どこ?」と言われた際に「ミルクホール」と言われた場合、人によっては「どこそれ?」となるだろうし、「所沢キャンパス」と言われた日には、その友達との縁を切ることになるだろう。

大学のいちキャンパスや、大学内の施設よりも有名で、心理的距離が近いのが駅前ロータリーなのだ。

駅前ロータリーと主体性の結びつき

早大生の主体性は駅前ロータリーでも発揮されている。こたつを持ちんで麻雀を行う学生もいれば、ゴミ捨て場をみずからで決めてしまうものもいる。よりキャンパスの環境を良くしようと思ってか、グラフィティアートを行った者もいた。

これを主体性と言わずになんと言えようか。

そもそもの問題

と、ここまで来たところで重要な問題に気がついてしまった。果たして、早稲田大学当局は駅前のあの敷地を所有しているのだろうか。

ということはつまり、残念ながら高田馬場キャンパスを名乗るためには、土地の所有のハードルを超えなくてはいけないのである。

話は少し逸れるが、1967年には放棄された要塞を不法占拠した元イギリス海軍少佐が、国家樹立を宣言したことがあった。国家承認を明示的に行った国は存在しないが、不法占拠によって国家樹立を行うことができることが明らかになった。

そうだ。高田馬場駅前ロータリーの場合は、早大生によって不法占拠が続いているではないか。あとは、高田馬場キャンパスを大学当局が認めるだけ…。

うん、やっぱり甘くはないか….。

おわり




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