前書き
最近、東北出身の現役早稲田女子大生のAV出演が、彼女が指定校である事も相まって炎上した。
ネット上の浪人生が感情的に嫌悪し、よく火の海になる指定校AO、これをできる限り実態に即して考えようという事で、慶應を知り尽くしたライターの実況見分を元に複数回に渡って考察をしていきたい。
今回は、大まかな概念整理と総論的な問題を検討する。
まず、指定校AOとはどんな制度なのか?
指定校推薦とは、大学が読んで字の如く「指定」する高校から、学業その他活動での高い能力を誇るものを推薦してもらい、採用するものである。
AO入試とは、アドミッションオフィスと呼ばれる様に、志望動機をメインの基準に、その他ディスカッションや教授との面接を通じて採用をするものである。
両制度を見ると、一般入試や内部推薦では取りきれない優れた才能を獲得するための素晴らしい手段と思うだろう。
また、めまぐるしく変化する今日の社会に求められる人材の変化に対応するものとも言えよう。
それは半分正解で半分大きな嘘である。
これから話すのは、あくまでも「例外」の話であるから、一面的に捉えて欲しくはない。
誤解を招く恐れがあり、それでも筆を進める理由は、これらの「例外」が醜悪極まりないからである。
上記両目的が真っ当である事は多くの人からして当然である。
ところが、この目的達成のための手段が著しく不公正である恐れが大いにあるのだ。
指定校の闇
まずは、指定校について見て行こう。
そもそも、難関大に指定校として貰えるだけの高校は、それなりの偏差値を誇り、過去に進学者が一定数いるところである。
それならば、来る人は優秀だと思うだろう。
いや、そうとも限らない。
まず、よくよく見ると、早慶一般入試(旧帝大レベル)というのを基準にしても、そこまでの数を排出していない高校ばかりで、御三家などといった名門校と比べて著しく知名度にかける高校ばかりである。
まぁそれでも、「成績上位」であれば、かなりのレベルであれば、一般組と遜色ないor凌駕すると思うだろう?
この「成績上位」概念をめぐっても、一義的な定義に欠ける。
一つは、成績上位層の辞退による中間層の推薦枠獲得である。
あれ?それって理論上最下位の人でも取れますよw
二つ目に、コース別というものがある。
文理でコース分けする様に、志望大学ごとにクラスが分かれる事が多い。
そして、ハッキリ言うが、私立文系クラスなど烏合の衆の集まりである。
(主観だけど)この中での上位成績というものに何の価値があるのだろうか?
三つ目は、各高校によって異なる評定制度である。
定期考査に簡単な問題、それもプリント丸写しを出すか、入試レベルを出すかは各校により異なるし、加えて内申点制度についても、それなりのウェイトを占めながらも教員の恣意が介在する余地が大きい。
だから、この点を指摘して「媚び売りの指定校」という蔑称があったりするのである(脱線)
AOの闇
志望動機の評価、素晴らしいものだ。
ただ、同じ動機を、美人とブスが語るのとでは、印象がエライ違うと気付く人はいるだろうか。
そう、AOは対面による事の弊害が露出することが多いのだ。
合格者の顔触れを見ると、イケメン美女がなかなか多い。
まぁ自信ある人がエントリーするものだから、試験の性質上当然かもしれないが、その美男美女もモデル経験や芸能経験者が多かったりする。(何となく察して来ましたか?笑)
顔についてはそれまでとして、ヤル気ほど不特定概念は無いだろう。
口先だけ人間とはよく居るもので、社会の弊害として駆除することに人類は歴史上努めてきたというのに。
実際、志望理由書や面接テクなどは、そうした塾(専門塾)が徹底的に仕込んで生徒に発表させると聞く。
軒並み同じ事しか言わないのであれば、それはもう実質上記顔採用に帰着すると言えるのではないか?
そうだとしても、評定による基礎学力の担保があるのでは?
いや、指定校の闇で見たように、高校の評定をアテにするなど発展途上国の債券を買うのと同様である。
これらの闇の実例
実例無くしては、この様な話は単なる嫉妬による妄想と捉えられるだろう。
そこで、次章以降は、筆者の見聞した実例をレポートしていきたいと思う。
華麗なる美女やハイスペイケメンの真実に迫りたい方は、次回も乞うご期待。
この記事を書いた人:ソッシー
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